このページでは「トップページ」に掲載した写真に遡って掲載しておりますが、このページの写真をご覧になられて当地に想いを馳せて戴いたり、今は当地を離れて遠くにお住まいになられている庄内出身の方も懐かしく思い出して戴ければ管理人冥利に尽きます。



 
 近年、月山が「日本百名山」に登録されてしまったが故に三角点を探して高山植物を平気で踏み荒らす心ない登山客、及び山岳ツアーガイドを多く見掛けます。管理人は行楽気分で月山に登ることに対して否定はしておりませんが、そのようなマナー違反の方々を見掛ける度に閉口してしまいます。少なくともこのホームページをご覧に為った方々は登山路以外には踏み入らないように願いたいものです。“第二十九代欽明天皇の御代、欽明八年(卯年/西暦547年)に、月山神はその姿を現したと伝えられています。「欽明天皇八卯歳、増河嶽(※現在の月山)に出現。今、月山権現がこれである。」…『羽黒山在庁年代記』、以来、卯年は月山の御縁年とされています。卯歳を御縁年とする月山神社は延喜の制による名神大社で神階は従二位、東北唯一の官幣大社です。古来より朝廷はもとより幅広く庶民の崇敬を集めて参りました。御祭神の月読命は、月を象徴する神として、夜と海の世界を司り、天下泰平、国土安穏、産業発展、五穀豊穣、大漁満足に霊験あらたかとされております(※出羽三山神社の資料を原文そのままに引用)。
■掲載期間:平成23年1月1日〜平成24年4月28日
 
 「杜の都」とも形容される宮城県仙台市は東北地方で唯一の100万人都市ですが、そのお膝元にある「仙台空港」も東北地方で最大の利用者数、就航便数、就航地を誇っており、滑走路も3,000bと1,200bの2本があります。就航路線は「新千歳(札幌)便・13往復/日」、「大阪(伊丹)便・15往復/日」、「名古屋(中部国際)便・6往復/日」、「福岡便・5往復/日」、「成田便・2往復/日」、更に「沖縄便」、「金沢(小松)便」、「広島便」、「ソウル便」が1往復/日、又、曜日に拠っては「グアム便」、「北京便」、「上海便」、「大連便」、「長春便」、「台北便」も就航しております。因みに羽田線の就航していない国内空港に於いて「仙台空港」は「中部国際空港」に次いで国内第二位の利用者数を誇る空港でもあります。周知の通り、当地(庄内地方)には「庄内空港」がありますが、「東京(羽田)便」のみの就航と為っており、全国各地から「庄内⇔東京(羽田)便」を乗り継いでお越しに為ることも可能ではあります。但し、特に北海道(新千歳)、中京(中部国際)、関西(伊丹)、九州(福岡)方面からは数多くの便が「仙台空港」に“直行便”として就航しており、又、それらの路線はJALとANAのように二社が乗り入れているダブルトラックに拠って“競争の原理”が作用しているが故に航空運賃も割安です。このように当地(庄内地方)には「庄内空港」、周辺には「仙台空港」があり、その他に「山形空港」、「秋田空港」、「新潟空港」もありますが、「仙台空港」と比較すれば、これらの三つの空港は就航便数が少なく、就航路線もJAL、或いはANAの一社しか乗り入れていないシングルトラックですので“競争の原理”が作用せず割高に為っております。例えば“「山形空港」発着の大阪(伊丹)便は「仙台空港」発着の大阪(伊丹)便と比べ、運賃が片道で5,000〜10,000円前後も割高”です。一般的に山形県への空路での来訪は「山形空港」と連想されがちですが、「山形空港」を発着する便は運賃が割高であるだけでなく、就航便数も少なく、特に山形市街から近いわけでもありませんので一般的には山形県の在住者ですら敬遠する傾向にあります。ましてや他地域の方々が空路で山形県を訪れる場合なども同様に「山形空港」を利用するメリットは在りません。拠って「仙台空港」、或いは「庄内空港」を利用された方が無難です。
■掲載期間:平成22年5月20日〜平成23年1月1日
 
江戸時代の初期であった1630年、後に出羽三山の中興の祖と仰がれることになる「宥誉」という方が第五十代の別当(※現在の宮司に相当する役職)に就任されました。宥誉は出羽三山の再建を胸に師と仰ぐ宥俊を介して徳川家の三代将軍であった家光に謁見されました。これは徳川家が天海僧正を崇敬して天台宗に帰依した事を手本に幕府の庇護を受けて真言の宗風にあった出羽三山を天台宗に改める事を目的にしたと謂われております。後に宥誉は天海僧正の弟子と為って「天」の一字を貰って名を「天宥」へと改めました。天宥の出羽三山に於ける功績は多大で「羽黒山伏の霞場の確立」「石段の敷設」「杉の植林」「南谷の造営」「須賀の滝の造営」などが主だったものとして挙げられておりますが、これらに拠って出羽三山が単なる東北の霊場から全国区の霊場へと発展していったとしても過言では無いでしょう。但し、1643年に天海が遷化してからは強力な後ろ盾を失い、古来より真言宗を貫いていた湯殿山を天台宗に改宗することは出来ないままに反対派の策謀に遭い、伊豆の新島に流されて1674年に82歳で生涯を終えました。俳人の松尾芭蕉が羽黒の地を訪れたのは1689年のことで天宥の死から15年が過ぎておりましたが、その際に当地で天宥の死を悼み「其玉や、羽黒にかへす法の月」と云う句を詠んでおります。写真は昨年の晩秋に管理人が思い立って新島を訪れた時のものです。現在は東京の浜松町から徒歩数分の場所にある竹芝埠頭から東海汽船のジェット船で僅か3時間で到着しますが、当時は絶海の孤島でありました。さぞや心細く寂しい晩年をお迎えに為ったかと思うと何ともいえない思いに駆られました。管理人はそこで羽黒山の境内の手水舎から汲んできた水で天宥のお墓を清め、墓参を致しました。尚、現在、旧羽黒町と新島村は友好町村の関係に有ります。管理人の連絡不足にも関わらず、この日、地元商工会の方、新島村役場の方の歓迎をうけ、大変にお世話に為りました。この場にて深く御礼を申し上げます。
■掲載期間:平成22年1月1日〜平成22年5月20日
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2014年の北陸新幹線の開通後、上越新幹線は運行本数の減便化、緩行化、始発着駅が大宮、或いは高崎に変更されることなどに因る地位の低下が懸念されており、新潟県とJR東日本(新潟支社)はこれら一連の問題を「2014年問題」として深刻に捉えているようです。但し、当地(庄内地方)から首都圏への高速交通手段としては、既にANAが「庄内⇔羽田便」を運航しており、又、ほぼ全てが快適な新型車両に更新された山形新幹線も「新庄⇔東京」を運行しておりますので、仮に上越新幹線がストップしても大きな影響を受けませんが、新潟県、特に下越地方にとっては穏やか為らざる問題であることと思われます。さて、新潟県とJR東日本(新潟支社)は、「2014年問題」が意味する“負のイメージ”を、現時点に於いて少しでも払拭すべく“うまさぎっしり新潟”をキャッチコピーにディスティネーションキャンペーンを展開中です(12/31まで)。但し、周知の通り、新潟県にはメジャーな誘客資源が在りませんので、当地(庄内地方)にはメリットは見出せないのですが、同じ羽越本線の沿線地域でもあるという名目で“友情出演”をさせられております。写真は平成21年10月3日(土)に羽越線を走行した“うまさぎっしり庄内号”を牽引するC57型蒸気機関車です。普段、この蒸気機関車は“SLばんえつ物語号”として新潟と会津若松との間を土日祝祭日に定期運行されておりますが、この日は前述のキャンペーンの一環として特別に秋の庄内路を走行しました。穏やかな秋晴れに恵まれたこの日、老若男女、沿線には大勢の見物客が繰り出しておりましたが、蒸気機関車はそれに応えるかのように何度も何度も汽笛を鳴らしながら駆け抜けて行きました。尚、背後に聳える山は“金峯山(きんぼうざん)”で、標高471bの山頂には奈良県の吉野にある“金峯神社(きんぷじんじゃ)”から分祀された“金峯神社(きんぼうじんじゃ)”があります。
■掲載期間:平成21年10月3日〜平成22年1月1日
月山頂上へ先達(せんだつ)料金を無料でご案内》の企画、今年は第1回目が8月2日(日)、第2回目は8月9日(日)にそれぞれ無事に修了しました。第1回目は大した雨にも見舞われませんでしたが、第2回目は下山の際に相応の雨に見舞われました。但し、それぞれ参加者の全員が心地よい疲労感を感じつつ、感動と達成感を胸に抱きながら湯殿山へと下山して来ました。月山頂上へ向かうルートは「月山登拝(登山)のページ」にて詳細に述べておりますので、この場では割愛しますが、ただ単に日本百名山を登る事に心血を注いでおられる方々は姥沢から文明の利器でもある月山スキー場のリフトをご利用されて登るのも宜しいでしょう。しかし、管理人は常日頃から“月山は信仰のお山”であり“ハイキングの山”では無いと考えております。そのような訳で月山に登る事は“修行の一環”であると捉え、月山8合目から月山の頂上を目指し、更に湯殿山へと向かう縦走ルートを推奨、又、企画している次第ですが、毎夏、この趣旨に賛同して戴き、湯殿山に到着後に多くの方々が「参加して本当に良かった!。」と、おっしゃって戴けた時が管理人冥利に尽きる瞬間でもあります。
■掲載期間:平成21年8月4日〜平成21年10月3日
鶴岡市と酒田市のほぼ中間地点に三川町と云う町があります。写真の建物は昭和の初期に三川町の旧家である阿部家が建築を行った建物の写真です。この建物は基礎に松杭を打ち、柱や梁には庄内地方の檜が使用されており、総檜造りの平屋建て、銅板ぶき、延べ床面積は約340u。匠の技が駆使されている大正ロマンの趣に溢れる威風堂々とした建築物であると評されておりますが、生前、前所有者であった故阿部徳三郎氏は周囲から“アトク先生”と親しみを込めて呼ばれていたことから、この建物は“アトク先生の館”としても称され、今に至っているのだそうです。さて、この“アトク先生の館”は“映画・おくりびと”の冒頭のシーンが撮影された場所でもありますので、特に右下の写真などは映画をご覧に為られた方であれば思い出されてくるのではないでしょうか…。酒田市や鶴岡市のロケ地巡りをするのも大変に結構ですが、映画に思いを馳せつつ、午後のひとときに“アトク先生の館”で優美な庭園を眺め、まったりとした穏やかな時間を過ごすのも一興かと思われます。
■掲載期間:平成21年6月15日〜平成21年8月4日
宮城県栗原市瀬峰地区、東北新幹線の仙台駅から在来線(東北本線)の普通列車に乗り換えて約1時間程の場所に“瀬峰駅(せみねえき)”と云う小さな駅があります。この駅から徒歩数分の場所にはラムサール条約にも登録され、白鳥などの渡り鳥の飛来地としても有名な“伊豆沼(いずぬま)”がありますが、この瀬峰駅からタクシーで数分程の場所にこの建物はあります。一見した処、廃墟のように朽ち果て掛けてはおりますが、この建物はこの地の出羽三山信仰を語る上で大変に貴重な建物であります。その昔、現代のように交通手段の発達していない時代に出羽三山を参拝すると云う行為は命懸けの行為であったことは想像に難くありませんが、そうであるからこそ先人達は一時的に家族と離れて真摯に自己と向き合って身を清めてから出発したものであるそうです。この写真の建物はこの地の方々のご先祖が、嘗て出羽三山を参拝する一週間前に籠もって精進潔斎を行い、日夜、手前の池で身を清めていた際に使用した“行宿(ぎょうやど)”であるのだそうです。建物の中に入ってみると板の間の奧には神棚が設えてあり、当時の面影を偲ぶ事が出来ましたが、その尊い信仰心の厚さにこちらまでもが身の引き締まる思いに為った次第です。
■掲載期間:平成21年5月1日〜平成21年6月15日
“広き野を流れゆけども最上川…”は山形県民歌の冒頭の一節ですが、山形県に限らずそれぞれの地方にはこのように母なる河川の存在があり、又、それぞれが全国的に知名度の高い河川であったりします。但し、この最上川は源流を米沢市の山中に発して山形県内を縦断、その後、酒田市の日本海に流れ出る全ての流域に於いて純粋に山形県内だけを流れる河川であり、“純正の山形県の河川”として広く県民に愛されています。それが故なのか、山形県はこの最上川を世界遺産に登録すべく文化庁の“世界遺産国内候補地の暫定リスト”の審査に上げましたが、敢えなく落選しました。しかし、(山形県は)その後も引き続き年額で4,000万円もの予算を計上しており、最近、更に最終的には3〜4億円の予算を計上しなければ為らない事も判明しました。巷では「(岩手県の)平泉でさえ世界遺産の最終審査に落選したのだから、それよりも遥かに前の段階である“国内候補地の暫定リスト”に名を載せることすら危うい最上川などは絶対に無理…。」と謂われており、良識ある多くの県民からは“税金の無駄遣い”との指摘を受けながらも、引き続き“世界遺産国内候補地の暫定リスト”の審査に上げる為に前述の多額の予算を組んで活動が継続されている模様です。さて、写真は1〜2月の厳冬期の早朝に撮影した最上川の写真です。水面にザラザラとしたものが浮いて流れているのは“凍結した最上川の一部分”です。周知の通り、山形県は南東北に位置しておりますので河川の水が全面凍結まで至ることはあり得ないのですが、このように年に数回、厳冬期には中途半端に凍結した最上川を流れる氷の断片を目にすることが出来ます。因みに冒頭の件に絡んで山形県で最も標高の高い山は“鳥海山(2,236b)”とされておりますが、裾野の半分は隣県である秋田県を覆っておりますので、裾野の部分から頂上まで全て山形県内にある“純正の山形県の山”としては“月山(1,984b)”が最も標高の高い山に為ります。
■掲載期間:平成21年2月15日〜平成21年5月1日
毎年、5月4日に羽黒町手向地区の安全祈願をする為、精進潔斎を行い、白装束を身に纏った約30名の代表者が月山頂上の月山神社で参拝を行い、その後、湯殿山に向かい、湯殿山神社でも同様に参拝を行って地区の安全祈願を行う「春山代参(はるやまだいさん)」、或いは「坂迎え(さかむかえ)」と称する恒例の神事があります。上の写真は管理人が2度目の春山代参に参加を行った平成17年5月4日、昼食を摂った「紫燈森(さいとうもり)」の近くにある「牛首(うしくび)」と云う地点を歩行中、遙か眼下に見えた湯殿山の大鳥居を撮影した時の写真です。周知の通り、月山が山開きをするのは7月1日であり、その約2ヶ月前に月山に登拝する訳ですので出羽三山神社の全面的な協力と支援があってこそ成し遂げられる“山伏修行”でもあります。因みに“羽黒町手向地区に居住する男子”以外の参加は認められませんので、一般公募に拠って誰もが参加可能な“秋の峰”とは趣旨が異なる修行であり、参加者はこの神事に参加出来る事を誇りに思っております。通常、山開き以降(7/1以降)であれば月山8合目まで自動車やバスで行く事が出来、そこから月山の頂上へと向かう事が可能なのですが、実は月山8合目に向かう道路の除雪が開始されるのは、例年、4月頃からと為っておりますので春山代参が行われる5月の時点では途中の3、4合目付近までしか除雪が進んでおりません。拠って(我々は)そこから歩いて月山の頂上を目指す事に為ります。 《平成17年5月4日(水)の春山代参の時のスケジュール》午前3時30分・出羽三山神社社務所前を出発〜出羽三山神社のマイクロバス〜午前4時20分・月山4合目着〜徒歩〜午前9時00分・月山9合目の仏生小屋を通過〜徒歩〜午前11時00分・月山頂上の月山神社到着・参拝〜徒歩〜午後1時00分・湯殿山神社到着・参拝
■掲載期間:平成21年1月1日〜平成21年2月15日
山形県の県北、秋田県との県境に位置する遊佐町(ゆざまち)に国指定の重要文化財である「旧青山本邸」があります。この建物の建築主である青山留吉は天保7年(1836年)にこの地に生を受けました。彼は若いときに単身で北海道の漁場に渡り、雇漁夫として働き始めましたが、後に頭角を顕わして最終的には15の漁場、漁船130隻、使用人300人余を要する道内一の漁業家に成長したと伝えられております。その青山留吉が“故郷に錦を飾る”として明治20年(1887年)に企画、最高の建材、最高の職人を使い、約3年の月日を要して明治23年(1890年)に竣工した豪邸が、この「旧青山本邸」です。豪華な建築様式は勿論ですが、館内には彼が生前に求めた様々な美術品が展示されております。大変に価値のある建築物なのですが、若干、交通の便が悪い場所にありますので実質的に公共の交通機関(路線バス)を利用されて足を運ぶのは無理です。拠ってこの場所に向かうには自動車を利用する事に為りますが、酒田市街からは約15〜20分程度を要します。尚、北海道の小樽市祝津には青山留吉の息子である青山政吉とその娘夫婦が建てた「旧青山別邸」があります。写真は「旧青山本邸」の軒先に吊してあった“(羽黒山の松例祭の)引き綱”です。この引き綱は基本的には旧羽黒町手向地区以外で目にする機会は滅多にありませんので、当時、彼が羽黒山に対して相応の寄進をした事が伺い知れます。
■掲載期間:平成20年12月1日〜平成21年1月1日

山形県は“一県二空港”の魁(さきがけ)とも謂える県で「山形空港」と「庄内空港」の二つの空港があります。空港の優位性を単に“就航路線”で捉えるならば「山形空港」に軍配が挙がりそうにも思えますが、“(市街地から空港までの)アクセス”、“輸送能力”で捉えるのであれば圧倒的に「庄内空港」が優位に立ちます。又、弱点とも評される就航路線に関しては「羽田空港」で乗り継ぐ事に拠って、逆に全国の主要都市と直結しますので山形県の空の玄関口は「庄内空港」と謂えます。このように当地(庄内地方)には「庄内空港」がありますので“羽越線の高速化”や“山形新幹線の庄内延伸”などは然したる問題としては捉えられておりません。尚、詳細に関しては「一考察のページ」にて説明を施しております。「庄内空港」の主たる路線は当地(庄内地方)と首都圏を僅か1時間で結ぶ「庄内⇔東京(羽田)線」で1日に4往復(※その内の3往復が定員279名の中型機)が就航しておりますが、特筆すべき点は「庄内空港」にて“夜間駐機”が行われている事です。これは「羽田空港」を20:15に発った最終便のANA899便が「庄内空港」に到着後、翌朝にANA894便として7:10に「羽田空港」へと向かいます。又、ANA894便に注目してみれば、山形県内に於いて当日に出発を行い、最も早い時間に首都圏に到達する事が出来る地が当地(庄内地方)である事に気付きます。因みにこの写真はそのANA894便を撮影した写真ですが、機体の後方には出羽三山の主峰である“月山(がっさん)”が写り込んでおります。隣県にある「秋田空港」が「秋田⇔東京(羽田)線」の路線を開設して夜間駐機に漕ぎ着けるまで三十余年の歳月を要したのに対して「庄内空港」は好調な搭乗率に支えられてこれを十余年で実現させております。但し、「秋田⇔東京(羽田)線」にはANAとJALの二社が乗り入れている為に“運賃の価格競争”なるものが発生しており、ANAの単独路線である「庄内⇔東京(羽田)便」より飛行距離と飛行時間が長いのにも関わらず運賃が安価である…と云う逆転現象が発生しております。今後、「庄内⇔東京(羽田)線」にもJALかSKYのような新興のエアラインが参入する事が望ましいとされております。
■掲載期間:平成20年9月1日〜平成20年12月1日
日本国内に現存する“即身仏(そくしんぶつ)”の約半数は庄内地方のお寺に安置されておりますが、嘗て彼等が崇高なる精神の下(もと)に想像を絶する修行を行った場所が、この写真にある“湯殿山の仙人沢”に為ります。今では湯殿山を参拝する際の駐車場(&売店)と為っており、往事を偲ぶことは出来ませんが、それでも何処となく神秘的な雰囲気を感じさせられるような場所であるようにも思えます。因みに「即身仏」が安置されているお寺に行った際に「ミイラを見に来ました!。」と表現するのは即身仏に対してもお寺の方々に対しても大変に無礼ですので厳として慎みましょう、正しくは「即身仏を拝観に来ました(参りました)。」です。さて、古来より出羽三山の三つのお山を詣でることは“現在(羽黒山)・過去(月山)・未来(湯殿山)”を身を以て体感することであるとされております。現代風に解釈すれば“リセット”とか“自己啓発”に繋がるものであるとも評されますが、根底には修験道に於ける“擬死再生”の思想に通じているとされております。これを踏まえた上で出羽三山を詣でる理想的なスケジュールとしては初日に羽黒山をご参拝された上、健常者であれば翌日に「月山8合目〜月山頂上〜湯殿山」を踏破されることに為ります。但し、自家用車やレンタカーでお越しに為った方々が「月山8合目〜月山頂上〜湯殿山」を踏破されようとした場合、当然ながら登拝(登山)口と下山口が異なりますので月山に登拝(登山)される前日の午前中に“湯殿山の仙人沢”に駐車をされ、そこを11:00に出発する路線バスで終点の鶴岡エスモール(※バスターミナル)に向かわれ、更にそこを12:50、又は14:25に出発する路線バスで羽黒山に向かわれる…と云う方法を採ることに為ります。尚、登拝(登山)口である月山の8合目までは宮下坊の最寄りのバス停から毎朝6:30と7:30に路線バスが向かっております。
■掲載期間:平成20年8月1日〜平成20年9月1日
平成20年6月某日、管理人は“月山筍(がっさんだけ)”の採取のプロに同行させて戴く機会に恵まれました。朝の6時半頃に目的地の駐車場で合流、直ぐにその周辺で採取するのかと思いきや、そこから採取をする場所までは片道約2時間の道程であることを告げられて唖然としましたが、腹を決めて急峻な山道をひたすら歩き続けました。現場に到着してから採取に要した時間は約2.5時間、収穫した月山筍を背負って再び駐車場に戻って来たのは午後1時過ぎに為っておりました。今回は“取材”と云う意味合いで同行させて戴きましたが、山の資源の保護、月山筍で生計を立てておられる方々のことを考えると『(自分のような部外者は)1シーズンに2度来るべきではないな…。』と思いつつ山を後にした次第です。今まで月山筍(天然物)は普通に食しておりましたが、この機会を通じて彼等が如何に大変な思いをしながら月山筍を採取してくるのかを身を以て体験する事が出来ました。月山筍(天然物)が市場に出回るのは6〜7月中旬頃までと謂われております。それ以降は残念ながら瓶詰めや缶詰の月山筍を口にすることしか出来ないのですが、何れにせよ、皆様が当地にお越しに為られて月山筍の料理を目の前にされた時、ほんの一瞬でもこのことを思い出して戴ければ幸いです。尚、ご案内をして下さったA氏、又、この計画が未だ草案段階であった頃に尻込みをする管理人の背中を押して下さったB氏、このお二方に心より御礼を申し上げます。
■掲載期間:平成20年6月20日〜平成20年8月1日
山形県鶴岡市由良、夏場には海水浴客で賑わうこの砂浜の洋上に“白山島(はくさんとう)”と云う小さな島があります。ご覧のようにこの島へはコンクリート製の橋が架けられており、誰でも自由に往来出来るのですが、これを“東北の江ノ島”と表現をされる方も居られるようです。この由良の砂浜の一角に「蜂子皇子(はちこのおうじ)上陸の地」とペイントされた箇所を目にする事が出来ます。実は羽黒山の開祖であられる蜂子皇子は崇峻天皇の第一皇子とされておりますが、今から一、四〇〇余年前、政変に巻き込まれて命辛々に京の都を脱出されました。その後、海路にて日本海を北上中にこの付近を通りかかった処、美しい八人の乙女たちが笛の音に舞いながら皇子を出迎えた事から蜂子皇子はこの場所に上陸をされ、その後、霊鳥である三本足の烏(カラス)によって羽黒山に導かれた…との伝説が残る地でもあります。そのような意味に於いてこの地は出羽三山の歴史を語る上で最も重要な地でもあります。
■掲載期間:平成20年5月1日〜平成20年6月20日
岩手県花巻市大迫町(旧岩手県稗貫郡大迫町)は「遠野物語」で有名な遠野市との境に位置しておりますが、この写真は大迫町の道端で見掛けた出羽三山参拝の記念碑です。このような記念碑は東日本一帯の各地で目にする事が出来ますが、遠くは千葉県君津市の山中にある亀山湖の一角にも同様のものがあります。江戸時代に於いて出羽三山に参拝すると云う行為は命懸けの行程を歩き通した上に多くの出費をも伴なった“一生に一度”の大業でもありました。地域に拠っては出羽三山を参拝して無事に戻って来られた方はその地区で最も尊ばれ、重要事の裁定の際には議決権をも有して死後は家族とは別々のお墓に埋葬された後に永遠に崇められた…とも伝え聞いております。周知の通り、現代では交通網が発達しており、そのようなことはありませんが、それでも出羽三山を崇める気持ちは変わらず、御縁年などの特別な年に参拝をされた場合などは、その方々の名前を刻んだ出羽三山参拝の祈念碑がこのように建てられるケースもあるようです。
■掲載期間:平成20年2月15日〜平成20年5月1日



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